珈琲焙煎者の観察

地下部屋の珈琲焙煎者

焙煎

珈琲の焙煎について、まるで自分でする気はなかったが、地下の珈琲焙煎者と、焙煎のワークショップに行ったことがある。

 

アミーズオーヴンというパン屋さんの、コテージで催された珈琲焙煎ワークショップ。

篠山にあるコーヒーのお店の方が、珈琲豆の選び方や、焙煎に必要な道具について、そして焙煎の実演をレクチャーしてくれるというもの。

 

珈琲の豆を、じっと見て形をそろえて分別し、虫食いの豆や、大きすぎるもの、小さすぎるもの、丸いもの、欠けた形のものを端へよける。

これらは、使わないということだ。

焙煎のときに、標準の豆と熱の伝わり方や、熱による粒の変化の仕方が、時間的に同期しないため、あるものは速くはぜ、そして速く焦げるという調子だと、全体としても焙煎の完了前に焦げた匂いに覆われてしまうため、できうる限り粒を揃える。

 

電車

広島

彼と再会したのは、数年前、たぶん2年前のJR電車内だった。

広島の平和記念式典の前日のことだ。

広島を目指して、京都から電車に乗っていたところ、車内でよく似たひとが歩いてると思って、呼びとめたら本人だった。

3年前かもしれない。

わたしの目的地は、広島だったが、本当に行きたかったわけではなく、ただ電車に乗っていたのだった。

その日に至る2年間ほど、まったくなにもしなかった。 なにかをしていただろうが、おぼえているのは、なにもしなかったことだ。 裸でソファーの上にずっといただけかもしれない。そうとしか思い出せない。

とてもではないけど、旅行する気になれなかった。

Hiroshima

A few years ago I met him again, in the JR train to go to Hiroshima from Kyoto. It was probably two years ago.

It was the day before Hiroshima's Peace Memorial Ceremony.

August 5.

I was riding a train from Kyoto aiming at Hiroshima, I thought that a person very similar to him in the car was walking, and when I called the guy it was definitely himself.

ah no It may be three years ago? I don't know.I don't want to remember that.

My destination was Hiroshima, but I did not really want to go, just being on a train with my violin.

I didn't do anything two years until that day, so I had to try to go away from my town.Because I couldn't think about trip, so my friend told me about TORONAGASHI at Hiroshima on August 6.She said it's unbelievably beautiful and I believe her everything.

On that day, there were other members riding the train together with him.

One was a woman from Germany and gave me a gluten meat sandwich. She is a vegan, probably punks, and kind of anarchists.

The other is male, he says he is serving meals to homeless in Osaka. He started to his project 20 years ago.He is a strange activist.He seemed to be tired somehow.

I've heard about FNB during I slip into my darkness years in Kyoto.

Food Not Bombs started after the May 24, 1980 protest to stop the Seabrook Nuclear power station north of Boston in New Hampshire in the United States. The people that started Food Not Bombs share their first full meal outside the Federal Reserve Bank on March 26, 1981 during the stock holders meeting of the Bank of Boston to protest the exploitation of capitalism and investment in the nuclear industry.

I heard it from my friend who taught me the destination of this trip. When I asked a question about a book in her room,she told me that FNB and free meal in public space like a street and in a park is illegal now in U.S. ,so if someone want to do free food for people who need to saport,Open a bazaar looks like flea market and cooking meals for free.

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珈琲の記憶

常習

珈琲をよく飲みはじめたのは、7年ほど前からだと思う。

ちゃんと思い出すには、資料がある。

しかし、何年過ぎたかなんとか思い出さないようにずっとつとめてきたので、精確なことは記憶からよびもどさないでいい。

きっかけは、よく知ったつもりの長いつきあいの人が珈琲がすきだったことを知った、という記憶からだった。

長いつきあいだったが、珈琲がすきだなんてまったく知らなかった。

最期になってはじめて知って、たぶんあの人のなかのことは、ほとんどなにも知らなかったのだとわかると、珈琲を飲むようになった。

気がつけば、飲む。 考えれば、飲む。 なにもしなければ、飲む。

つまりは、なぜ珈琲を彼が好んで飲んでいたのか、わからないなと、珈琲を飲んでみていた。 あらゆる隙に。

それは、とまらなかった。

珈琲には、たしかにその成分に常習性があるかもしれない。

それも、あるだろうし、珈琲を飲むという行為に記憶としての常習性がある。

記憶としての常習性とは、なんだろう。

すなおに、「珈琲を飲むという行為自体に常習性がある」と書きたいところだが。

珈琲を飲みつづけ、そのわたし自身の常習性に、精神的依存症を発見していた。 だから、飲む。なにが見たいのだ?と、考える、その度に。

そうして、おそらくほぼ毎日、あらゆる時間に珈琲を飲みながらも、美味しい珈琲を飲もうという着想は、5年以上なかったと思う。 そもそも、「美味しい」と珈琲とにつながりを感じたことがない。

珈琲を飲めないという人に、よく会う。 そのときは、なるほどと思う。それは、当然であって、まったく疑いがない。

ごくたまに、「美味しい珈琲」という人に会う。 特定の珈琲を「すごく美味しい」という。 記憶している場面では、それは女性。

「この珈琲は、すごく美味しい」

と聞いたときは、記憶しているかぎり、わたしは、

「そうですか」

と応えている。意識的にそういっている。 このひとは、美味しいと感じて、珈琲を飲むのだな。つまり、美味しいから飲むのだ、とポインタを据える

「そうですか」

だ。 だから、必ずその状況では、「そうですか」と発している。

記憶のなかの瞬間へ、珈琲を飲むとき、思考をもどそうとしている。 もういまや無意識だが、ほんの一瞬だけ、珈琲を飲もうと思うとき、記憶のなかの情景と、そのときのおどろきが通りすぎる。

「ちょっと下の、売店の横にな、珈琲売ってるとこあるから、そこで買うてきてくれへんかな。珈琲やったらなんでもええ」

グランドピアノのある広い空間を通って、ドトールコーヒーまでおつかいに。 駅のなかのように沢山のひとがいる。 またエレベーターで10階以上上がって、病室までもどることを思うと、2つくらい買っておきたい。

2つのカップを持って、「はい」とわたすと

「おお、ありがとう。ありがとう。1つでいい。」

と言った。

「珈琲は、よく飲むの?」

「飲む。珈琲であればなんでもええんや。」

「すきだったっけ?」

「昔からや。」

「そうだったの?知らなかった。最近じゃないの?」

「おれも珈琲は、昔からよう飲む。でも、味は気にしてない。なんでもいい。ここは、下まで降りていかなあかん。酸素ボンベ引いて、エレベーター乗ってな。それで、我慢しとったところ。」

「そうか。じゃあ、も1つどうぞ。」

珈琲を飲もうと思うとき、ふっと記憶が一瞬思考に影響をあたえる。

わたしが、「美味しいね」というときは、だれかがいれてくれたり、くれたりするときに、そのひとに向けて発するのであって、味覚上の満足がことばにこぼれてでてくるのではない。 だから、ひとから「美味しい」と聞いたときは、「そうですか」といってから、順番に解釈する。 それは、味のことをいっているのか、だれかに対していっているのか。 「不味い」と聞いたときは、まったくうたがわない。

わたしにとって珈琲は「奇妙な味がする」ものであって、そこにはグレードがある。

また、珈琲は「スタートさせる」ものでもある。

Addiction

I think I started drinking coffee often,it was 7 years ago.

I can check when I started it.Because I have some datas.

However, as I have managed to keep on remembering how many years passed, I do not have to get back from my memory.

珈琲豆の経路


珈琲豆とは、何処から来るものなのだろうか。

 

そんなことを気にしたことはなかった。其までは。

 

その豆が、特殊な流通経路でやってきていると知るまでは、では、他の豆はどうなんだ?と思った。

 

その豆、つまり彼が焙煎している豆は、メキシコから、明確に単純な経路で日本に持ち込まれているらしい。

 

珈琲のことを日常的に、あちこちで見ているので、わたしは知っていると考えがちだが、その来歴については、おそらく全く知らない。

豆である認識さえも、なかったかもしれない、なんだあれは、いったい。

珈琲の生豆の写真

マヤビニックの生豆

 

例えば、「モカ」とは、アレだ、と思っていた。

アレとはなんだ、モカだ、と一意に一対一の対照で捉えていて、モカが地名であると先日知って、大きな違和感を感じた。

モカモカである、でなにも不思議に感じていなかったので、それ以上のうたがいはなかったのだった。

「モカ」は紅海に面した、イエメンの小さな港町の名前である。

https://www.instagram.com/p/BesXcuFhKFc/

 

モカ

Mokha

المخا

 

ぁ、そうだ。モカという響きから、その初声らる刹那にカカオのイメージがよぎっていた。

だから、モカとは、モカの実、なるなんとなくチョコレートフレーバーなものが要素として含まれてあるような錯覚だった。

珈琲の豆であって、モカの実ではないのは明白なのに。

コーヒーノキの写真

コーヒーノキ(又吉コーヒー園)

カカオの木の写真

カカオの木(京都市植物園)

モカの実というのは無いが、カフェモカ(café mocha)というものはあった。
カフェモカは、地名のモカとは関係がないらしい。カフェモカは、チョコレートを入れた珈琲ミルクという雰囲気の飲み物で、わたしがモカと聞いて、アレだと思うのは、このカフェモカの影響下にイメージがあるのだろう。

 

珈琲もチョコレートも、世界中で消費されていて、なんとなく同じような買い方をされているような気がする。

 

どのような買い方であるか、ということが重要で、注目される場合がある。

それは、品質より大事にされることもある。

たとえば、よい買い方をするために、その流通を担うことを始めるということがある。

 

 

地下の部屋

 

 

あれは、7年前の地下室だった。

いや、何年前かはっきりしないが、それは、福島原発メルトダウンした年だったはずだ。

 

写真を探せば、日付がわかるだろう。

 

とにかく、あの地下室に入ったのは、その時がはじめてだった。

 

あの日、わたしは、ひとりで山の中を歩いていて、ある女性から教えてもらった”聖域”という場所を探していた。

馬頭琴を持って。



以前から、その辺りを一人で歩いていたが、街の中で出会ったある女性と、何度か話していると、彼女は、”聖域”と彼女の中で決めている場所の存在を教えてくれた。


その場所の在り処については、詳しくは尋ねなかった。

 

いつか歩いていると、きっとわかるだろうと思っていた。

その日は、その何度目かの探索だった。

建て増し住居

山のふもとの建物

とすると、それは夏だったはずだ。

だんだん思い出してきた。

 

そう。その日は、何度目かの探索だった。

そして、その日、見つけたのだと思う。

 

その場所近づくと、話に聞いた情景と一致していた。

その場所で、とうとう見つけたんだと、一人で佇んでいると電話が鳴った。

最初は、メールの着信だった。当時なんどか会った、女性からだった。
何をしていますか?ということだったので、今、山の中にいますとメールで返事をした。

するとすぐに、電話がかかってきて、何処にいるのか尋ねられたので、山の中だと応えた。

「山のなか・・・ですか?何をしているの?」

「場所を探していていたのだけど、まぁ、説明は出来ないです。山の中にいるだけです。」

「そうですか、今、道にいて、そこで酒を飲んだり、鍋をするところです。炬燵があります、来ませんか?畳もあります。」

 

炬燵か・・・なんだか夏ではなかったかもしれない。着ていた服も夏ではなかったな。
天気はよく、山の中でTシャツの上にマントを羽織って歩いていると汗ばんでいた季節だった。

山を降りて、路上にいるという一団のところへ立ち寄り、百万遍の交差点のひとしきりの風景を見た後、大八車に炬燵や畳を積んで余興の小道具どもをかたづける場所へ

「・・・見ますか?地下です。」

と、案内された。

 

そこは、路上でフランス語の未翻訳のものを翻訳し出版したいと言っていた大学生が棲んでいるという大学の構内の場所で、地下の一室だった。

しかし、特に強い印象に残らず、その地下の部屋が位置する外の空間に強い魅力を感じた。

 

ここにはまだ、珈琲豆は登場しない。

ただ、場所についての、わたしの中にある因果関係で、その後のわたしに起こることの起点的な重要性があるが、それはまた別の話であって、いま、ここではその場所は、また訪れることになるとは考えていなかった。

珈琲豆が、その場に登場するのは、ここから6年先だ。

 

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二千十一年五月六日

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